めちゃイケ

岡村さんが復帰。やや太ってしゃわがれた声で登場。病気の詳細も明らかにならない中、いろんなうわさが駆け巡り、僕自身はもう岡村さんがテレビに出る日は来ないんじゃないか、とまで覚悟した。

そりゃあ、まだ本調子とは言えないだろうけれどそれでも岡村さんがいるかいないかでこんなにめちゃイケが違って見えるものかと、正直びっくりしたんだ。ただ一人、ちっちゃいおっさんがいるかどうか、それだけなのに。

新メンバーの批判もいろいろ思いついたりはしたが、こんなめでたい気分に水を差すのもなんだろうから、今日はその辺りは黙っておこうと思うんだな。

こっからは僕の自分語りになるので、読まなくていいと思う。ただ、なんとなく書きたいから書いておく。
そう、ナインティナインとぶくすりの終り頃に知った。その頃は元気のいい若いお笑い芸人さんぐらいにしか思っていなかった。地方在住の僕は1週間ばかり遅れて放送されるとぶくすりを夜更かしした日にときどき見るぐらいの感じだった。やがてめちゃモテやANNが始まる。このころは、なんとなく面白い番組だし、毎週チェックしとくかとは思っていたが、「ナインティナイン」として意識して見たり聞いたりはしていなかったように思う。

そして、大学に入って、人間関係の構築にうまくいかず思い悩み、一人寮の狭い部屋の中で見た日曜夕方のぐるぐるナインティナイン。まだ関東ローカルでやっていたので、地方から関東に出たての僕はこの番組に衝撃を受けた。くだらなかった。最高にくだらなくて、自分の悩みも忘れるぐらい笑った。あのころはテレビも今より緩くて、とにかく低俗な番組だったことは覚えている。ただ落とし穴掘っておとして笑ってみたり、誕生日ケーキ爆破したり、矢部さんにキノコを無理やり食わせたり催眠術かけたり、ヤギーと称してマギー司朗のパロディでうどん鼻から入れて泣いてみたり。それを日曜の夕方にやっていた。だが、それが僕の心にはちょうどよかった。
日曜の夕方が待ち遠しくなった。次の日からまた面倒な人間関係の渦に入っていくことも忘れて、何も考えず笑えた。
すごく救われた。いつの間にかめちゃモテは土8でめちゃイケに。ぐるナイはゴールデンに進出。一気に知名度と人気を上げ、スターになっていった。年末のおかしな「年越し儀式ドッキリ」特番までやるようになった。毎週のように増えるVHSのテープの背ラベルをカラーペンでデコレーションして並べるのがその頃の僕の楽しみだった。今思えばかなりきしょいことしてたと恥ずかしくなるんだが・・・。

とはいえ、その番組がきっかけで少しずつ新しい友人とも話が増え、大学生活を孤独で過ごすことは回避された。
その頃には、同級生にはナイナイファンといえばこいつだ、と言われるぐらいにはなっていたっけ。

ほんとに、ナインティナインのおかげで僕の青春は、人に語っても大丈夫な人並な内容になったと思っている。すごく感謝している。

そして、時は経ち、いつの間にか岡村さんはテレビに欠かせない人になっていたのだね。僕にとってだけではなく、色んな人にとって。

お笑い番組なのに泣きそうになりながら見ていた。僕と付き合いだしたころの妻はお笑い芸人には全く興味がなかったそうだ。なのに、今は僕の隣で目を潤ませて「岡村さん、よかったね。テレビに出られるぐらいによくなって・・・」と言っている。

こんな一言でしか言い表せないことが悔しいのだが、僕にはこの言葉しか思いつかない。

岡村さん、おかえりなさい!