脳死と心臓死と臓器移植と

臓器移植法が改正施行。それと同時に、脳死は(臓器移植の前提で)基本的に人の死となったわけで。
この話題の時にいつも思うのだが、なぜ臓器移植ありきで人の命の論争をするのだろうか。臓器移植は、基本、脳死が人の死であるというコンセンサスが得られた段階で議論の俎上に上るべきものではないだろうか。人の死の定義は、今のところ心・脳の不可逆的機能停止。だが、臓器移植前提においては脳死を認める。
もちろん、臓器移植の場合、特に心臓は心停止とともにその移植臓器としての意義を急速に失うのだから、脳死での移植になるのはいたしかたない。だが、なんで重要な人の死が、まず最初に議論されることなく「移植ありき」で議論されるのだろうか。こういうことがおざなりにされたまま、いつの間にか臓器移植だけが独り歩きしている現状を鑑みると、僕は脳死移植すら反対したくなる。というか、僕は脳死にかかわらず基本移植医療そのものに反対である。
だけど、みんなどう思っているのだろう。脳死を人の死として受け入れるべきだと思う?僕は受け入れていいと思う。だけど、それは臓器移植在りきの状態じゃなくても自由に選択するべきだと思う。人の死なんて、生の一連の流れなんだから、もっとちゃんと議論するべきだし、避けてないでもっと話そう。
死ってなに?死ぬということの定義って?誰が死を決めていいの?